恩を忘れた光秀
先週も書きましたが、尾張の大うつけ者と呼ばれた喧嘩達人の信長。「天下布武」の旗印を掲げて明日は我が天下と夢を膨らませて、本能寺にて無警戒のまま滞在する。そこを一番信頼していた側近中の側近の光秀によって倒された。光秀の能力は織田家中でも才能はピカイチで一番早く大名に抜擢された。そして領民、部下達への配慮も完璧であったために信長も大いに信頼していた。それだけにどこに問題があったのだろうか…。しかしその光秀も秀吉によって山崎の合戦で倒された。
いつの世も、人生、利用されたり利用したりの繰り返し。お互いに他人のために尽くしてこそ強固な信頼関係が生まれると思うが、なかなかむずかしい。(令和四年六月十二日)