うとんじられては
神の罰より主君の罰の方が恐ろしい。主君の罰よりも領民の罰の方がもっと恐ろしい。なぜか。神の罰は祈りによって免れる。主君の罰はわびて許しを受けることができるが、領民に「うとんじられて」は祈ってもわびてもどうにもならない。その結果、国を失うことになるからだ。だから一番恐ろしいことだと官兵衛は部下たちに言った。また領民の声は神の声だとも言った。
いつの世も、常に人の心の痛みを考えて仕事をすることが最も大事なことだと思う。だが、なかなかむずかしい。(令和七年八月十七日)
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神の罰より主君の罰の方が恐ろしい。主君の罰よりも領民の罰の方がもっと恐ろしい。なぜか。神の罰は祈りによって免れる。主君の罰はわびて許しを受けることができるが、領民に「うとんじられて」は祈ってもわびてもどうにもならない。その結果、国を失うことになるからだ。だから一番恐ろしいことだと官兵衛は部下たちに言った。また領民の声は神の声だとも言った。
いつの世も、常に人の心の痛みを考えて仕事をすることが最も大事なことだと思う。だが、なかなかむずかしい。(令和七年八月十七日)
粘り強い団結力が自信と責任と誇りにつながる。
「にぎりめしとおかゆの理論」
「にぎりめし」は米粒の固まりで、その米粒は団結力のかたまりのようである。反対に「おかゆ」は茶碗の中で流れてしまうから「団結力」がない。
戦国の世、戦で「おかゆ」は組織の中で自分の意思がなく、人の言いなりで積極性もない。「にぎりめし」は積極性があり組織に属し、握られた米粒ひとつひとつが団結力を持ち自信と責任と誇りを持って、お互い力を合わせて敵に突進する。ようするに組織の一員となって、「にぎりめし」のように固まらなければ敵に勝つことはできないと秀吉は言った。
いつの世も、部下が組織の中で好き勝手なことをしていると「おかゆ」のように流れてまとまらなくなりうまくいかない。「にぎりめし」のように握られているということは、組織の中でルールを守り、本当のチームワークにつながり、会社の繁栄につながるような気がするが、なかなかむずかしい。