秀吉曰く「人は他人から好かれたり嫌われたりといっても性格だけのものではないようだ。性格から言えばわが殿、信長様は嫌われ者の代表者である。残虐、短期、ケチ、陰険、どれひとつとってもマイナスの性格だ。だが、わが殿には嫌悪感をはるかに上回る長所がある。先見性と実行力、そして必ず成功に導く指導力である。」 人は誰でも嫌われたくないと思う。しかし人間は神でも仏でもないのだから、嫌われたり好かれたりするのは当然のことである。分かりやすく言えば上司から嫌われる男は部下から好かれる事が多い。あるいは男女の場合、男に好かれる人が必ずしも女に好かれるとも限らない。
秀吉もそうだった。信長に仕え、出世コースに乗った時、先輩武将達からはことごとく嫌われた。だが秀吉は一向に気にすることもなく平気だった。なぜならば現代企業で言えば、社長と部下に信頼されているならば、絶対まちがいないという思いがあったからである。経営者信長に人気があって、部下達からの信頼を集めている秀吉にとって怖いものなしだったのである。
要するに秀吉にとっては誰からも好かれる人間ではダメだということである。嫌われ、好かれてこそ、人望が厚くなるということである。
今の不況な世の中、秀吉のような考え方でいいのだろうか?なかなかむずかしいことである。
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