戦国新報
 
 
平成8年 後期
もどる
迷うな判断力と決断力
すすむ
 秀吉は中国地方の毛利を攻めて大手柄を立てて織田家筆頭の柴田勝家、その他の先輩達より抜きんでたいと思っていた。
 秀吉はすでに勝家の限界を知り、光秀も優秀だが信長と気が合わなくなっており、いずれ何らかの形で衝突するだろうと読んでいたのである。
 信長はトップであり、時代を突き抜けた天才だが、天才ゆえの欠陥もあった。
 秀吉は自分の「夢」を自分だけのものとせず、半分、部下達に分け与えてやる器量の大きさをもっていた。
 突然の「本能寺の変」が起きた時、秀吉は「中国大返し」という大戦略をやり遂げた。あのとっさの判断力、そしてゆき届いた手の打ち方の早さ。今が自分の最大のチャンスだと思い、すぐに行動に出たのである。秀吉の行動はいつも切れ味がいい。部下達に生き生きと発動をかけ大軍の陣容を立て直すと、一挙に京都を目指して大旋回した。急がなければならないと部下達に命令し、そして励まし、百キロあまりの道のりを不眠不休で駆け抜けたのである。先に着いた秀吉は後続の部下達に「よう来た。よう来た」と涙を流して迎えた。 秀吉の部下達への思いやりと、判断力、決断力の早さが天下人への道を開いたのである。
 最近どこへ行ってもいい話が聞こえてこない。少ないチャンスに巡り合ったなら、判断力と決断力ですばやく対応することが必要ではないだろうか。たが、むずかしい。
【文:高田 金道】