天下を取ったと思う間もなくわずか十一日で秀吉軍にクーデターを鎮圧された光秀。これを後世の人は「光秀の三日天下」と呼んでいる。光秀の娘婿細川忠興はなぜ動かなかったのか?光秀は忠興に天下を譲ってもいいと言っているのに、それでも動かなかった。忠興親子が光秀に協力したなら廻りの各大名達の動きも大きく変わっていたのではないだろうか? 光秀は秀吉に敗れはしたが、光秀の血列は今でも残っている。元内閣総理大臣の細川首相は細川藤孝から数えて第十八代目当主である。
藤孝の長男、忠興の妻である光秀の娘玉(ガラシャ夫人)が帰依したキリスト教の祈りを、細川首相が見事にかなえたといっても良いだろう。
豊臣家は滅びたが、光秀の願いは玉に託され、何年後に天下取りへの夢が初めて実現されたのである。
いつの世も人それぞれ、いろんな考え方があるようだ。
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