平成6年
前期
上に立つ者は、部下の見本
家康は本当にケチだったのか
ある時、家康に信長から桃が贈られたことがあった。当時の桃は貴重な果実だった。家康はその桃を食べようとはしなかった。「わしと信長殿とでは身分が違う。わしのようなものが、ぜいたくな物を食べていいわけがない。ぜいたくよりも優先させなければならないことがある。それは軍用を不足させないことだ」後にこのことを知った信長は「さすがに大志を抱くだけのことはある」と感心したという。
こうした話が多く伝わっているため、家康は万事にケチな性格だと思われているが、決してそうではなかった。米の値段が上がると、貯蔵米を惜しみなく放出したし、飢饉になって側臣が倹約令を出そうとしたときには「今、倹約令を出せば多くの者が餓死してしまう。仮に家を建てようとしている者がいれば自由に造作させてやれ」と言った。飢饉で不景気になれば、この時期を狙って蓄えのある人達が割安で家を建てることもあろう。それによって仕事が増える大工もいるかもしれない。家康はこのように、物事を常に大局的に考えていたのである。
上に立つ者が節制を心がければ、部下もおのずからそれに習う。いかなる場合でも、上に立つ者は下の者の見本なのであるということを家康は常に考えていたようである。
【文:高田 金道】