戦国新報
 
 
平成4年 前期
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現代は情報時代
信長の頭は情報コンピューター
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 ある会社の社長が三十五歳の独身男性社員に「休日はどういうふうに過ごしているか」と聞いたところその社員は「疲れを取るために家でゴロゴロしたり、テレビを見たりビデオを見たりしています。」それを聞いた社長は「なるほど、それだからこそ君は三十五歳になってもまだ独身なんだな。」と言ったそうです。つまり休日はもっと外に出ていろんな人と会い、またいろんなことを経験し、視野を広げなければならないと、その社長は言いたかったのです。
 信長は、うつけ、たわけと呼ばれながら実は、自分の領土を自分の足でくまなく歩き、どんな人間が住んでいるのか、どんな人間が京都あるいは大阪から自分の領土内に入り込んでいるのか等、さまざまな情報を自分の目で直接確かめていたようです。この情報重視が、のちの信長の戦術革命のひとつとして注目されます。桶狭間の戦い後の論功行賞において、今川義元に一番槍をつけた服部子平太でも、首を取った毛利新介でもなく、諜報部隊長だった簗田政綱を呼んでその功を賞したことに、信長の「情報重視」の姿勢が現われています。
 桶狭間の戦いで信長の奇襲が、鮮やかに成功した背景には、簗田政綱の情報収集と同時に、味方の情報が敵の今川方に洩れることを防ぐ手段を取っていたことにありました。信長にとって「情報」は二つの意味があり機密漏洩の防止にも相当力をいれていたようです。
【文:高田 金道】