戦国時代と現在の金銭感覚を比べてみると、一貫はおおよそ十五万円、一石は約六万円に相当すると考えられます。十貫の家臣だと年収は百五十万円。それに約七貫に一人の割合で軍勢を出すことになっていたから、槍持ちや旗持ちという農兵を一人雇わなくてはならなかった。高給取りでも同じであったから、五百貫の収入だと七十人もの兵を養わなくてはならず、家臣達の生活も楽ではなかったようです。
秀吉の家臣、石田三成は、二十三歳の時、近江四万石を与えられたが、すぐに軍識家として評判だった、島左近に一万五千石を与えて家臣にした。主君からの給料はすべて有効に使いきらなければならないと考えていた三成らしい剛毅なやり方に、秀吉は喜んだという。
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