戦国新報
 
 
平成18年 前期
【 H18.4.9】
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気のつく人
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 「気配り」のできる人は仕事もできるという人もいるが、気配りのできる人は、よく気のつく人だとも言える。気のつかない人は自分の足元にジュースの空き缶がころがっていても拾わないと思う。そういう人は与えられた仕事だけしか眼中にないと思うが…。
 戦国の世、秀吉は相手の立場に気配りのできる人こそ仕事ができると言うその一番のいい例が自分だといわんばかりだが‥・。
 秀吉が長浜城主になった時、鷹狩りの帰りに咽が渇いて近くのお寺に立ち寄った。その時接待してくれた小僧が、最初は大きな茶碗にぬるめのお茶を出してくれた。秀吉は咽が渇いていたためいっきに飲み干した。もう一杯頼むと、今度はやや熱く量は一回目の半分、これも心地よく飲み干したが、まだ渇きがおさまらずもう一杯と頼んだ。三杯目は品のいい小さな茶碗に熱いお茶を少々、しかも香りがよく味わい深く、秀吉は大満足して飲み干した。これほど相手の立場に立って気配りのできる小僧は将来必ず立派に育つだろうし仕事もできることだろうと、秀吉は期待し住職に頼んで自分のそばにおいた。その後りっぱに期待通りに育ち秀吉の片腕となった武将は石田三成である。
 今の不況の世の中、気配りのできる人、気のつく人ほど求められている時代だ。与えられた仕事だけやることは誰でもできるし、あたりまえだと思う。ちょっとの気配りが自分の将来を大きく変えると思うのだがなかなかむずかしい。

【文:高田 金道】