私が中学の頃は、能代は木材都市、東洋一と社会の教科書に載っていたし、先生からもよく聞かされた。
いつの世から秋田杉は有名になったのだろうか…。
戦国の世、秀吉が天下を取り平和になった頃の話である。秋田実季(さねすえ)はわずか十二歳で家督を相続し、家臣達のバックアップを受けながら檜山城にて着実に成長した。豊臣政権と接触を保ち、五万二千四百石の領地の所有を認められた。
その頃、秀吉は「伏見城」を築城することになり、実季は秀吉に忠誠心を表すために「天然秋田杉」を、日本海航路を利用して大量に献上した。秋田杉の美しさは秀吉を大いに喜ばせたばかりでなく、各大名達からも称賛され、注文が殺到したという。
秋田杉が天下に認められたのは、秀吉の「伏見城」築城が「きっかけ」であったようだ…。
いつの世も、何かひとつのものの名を高めるためには、やはり「きっかけ」を作ることが大事なような気がする。その「きっかけ」をつかむために毎日努力していかなければならないが、なかなかむずかしい。
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