戦国新報
 
 
平成13年 後期
もどる
米百俵の精神
すすむ
 幕末の佐久間象山の門下生に、吉田松陰、小林虎三郎がいた。虎三郎は長岡藩の重役だったが世には無名の人物だった。
 戊辰戦争に敗れた長岡藩は食糧不足で皆飢えていた。そんな時、支藩であった三根山藩から「米百俵」が見舞いに贈られてきた。士族達は「即刻われら士族に配分せよ」と、藩政のトップであった虎三郎に迫った。しかし虎三郎は「いや配分はしない。この米を基金として学校をつくりたい」と主張して一歩も譲らなかった。
 虎三郎は廻りの外圧に屈することなく「国漢学校」を創設したのである。これは東京の小学校開設と同じ時期であった。
 虎三郎は、心を鬼にして現在の苦境を乗り越える人材というエネルギーを蓄積したのである。 やがて虎三郎の夢は、山本五十六元帥など、学界に有名な人物を輩出した。 戦国の世「人は城、人は石垣、人は堀」の有名な言葉を残した武田信玄と同じように、虎三郎は目先の利にとらわれず人材育成に力を注いだのである。
 不況の今の世も、目先の小さな利益にとらわれず、長い目で将来を見て歩むことが大事なような気がするが、現実はなかなかむずかしい世の中だ。
【文:高田 金道】