戦国時代の武将の中で、信長ほど思いきりのいい武将はいない。常識外れの発想で事を起こすことは、誰の目からみても不思議な存在だった。しかしそれはその時代の流れ、変化を見抜いた「先見性」あふれるものだった。
信長は過去の常識とか伝統、あるいは家柄等というものはことごとく嫌った。
永禄三年五月十九日。湯漬け(今のお茶漬け)と、味噌にショウガやゴマを混ぜて焼いた「焼きみそ」をおかずに、立ったまま食べ終わった信長は、すぐさま桶狭間に向い、奇襲戦法で今川義元の首を取ったのである。この時、信長二十七歳であった。
天才的な戦の立案能力を持っていた信長の頭脳は、戦国一であった。その頭脳を形成していたのが、神経伝達物質である味噌レシチンでありゴマのビタミンB1であった。粗食ではあるが十分に健康を維持し、脳を活性化していたのである。
不況な今の世も信長のような思いきりと健康管理が大事なような気がするが、なかなかむずかしい。
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