戦国新報
 
 
平成8年 後期
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遅れた戦いに勝利はない秀吉の先手必勝の心がけ
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 秀吉と柴田勝家の賎ケ岳の合戦で、勝家側の大将、佐久間盛政は秀吉が大垣城に出兵している留守をつき、秀吉側の砦、大岩山を奇襲し陥落させ、中川清秀を討死させた。
 その報を聞いた秀吉はただちに決断し、全軍を急がせ、五十キロ余りの道のりをわずか半日ほどで取って返した。秀吉のあまりの帰陣の早さにあわてる佐久間勢を追撃し、勢いに乗って一気に勝家の本陣までを攻め落として決定的な勝利を手にした。
 電信電話のある今ならともかく、徒歩か馬しかなかった戦国時代において、これは大変な早さであったようだ。
 山崎の合戦や、この時の賎ケ岳の合戦における、他人の予想をはるかに超えた決断力と行動力の早さが、天下を取ることができた一番の原因ではないだろうか。
 不況な現代社会においても、すばやい行動で先手を取ることが、相手に良い印象を与えるのではないだろうか。
 常に先手必勝すばやい対応を心掛けることが大事なような気がするが、なかなかむずかしい。
【文:高田 金道】