戦国新報
 
 
平成7年 後期
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勝手な男三成
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 石田三成は関ヶ原の合戦をするべきでもなかったし、またする必要もなかった。戦を自分勝手に大義のためといいながら、福島正則、加藤清正など尾張衆との『うちわもめ』を徳川家康にうまく利用され挑発されたのである。
 本当に豊臣家を守って秀頼を天下人にする目的だったら秀頼を関ヶ原に引き出して敵の総大将家康と直接対決させるべきであった。そして親父の馬印『千成ヒョウタン』を大空に輝かせる事によって、家康に味方した秀吉子飼の武将達、福島正則以下十数名の純情派。そして土壇場で寝返った小早川秀秋、脇坂安治達はおそらく裏切り行動がとれなかったと思う。また家康の根回しも功を奏さず、彼の計画した豊臣家の武将同士を死闘させ『漁夫の利』を得るという計画は失敗したと思う。
 関ヶ原の合戦が敗北におわったのは、三成個人の恨みと自分のことで腹をたてた事に、原因があるようだ。もう少し『我慢と辛抱』することが大事であった。
 いつの世も内部の『和』と『対話』が大事である。そして自分の意見よりも他人の話しをよく聞きそしておのれを殺して他人をたてる事が『和』につながり結束が深まるのではないだろうか。
 豊臣の天下も家康によって滅ぼされたが『和、対話』を大事にすることによってもしかすれば豊臣家も今日に残っていたかもしれない。
【文:高田 金道】