戦国新報
 
 
平成7年 後期
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秀吉の出世は時間厳守から
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 秀吉が新参者として信長に仕えていた時代、信長はよく鷹狩りに出かけた。まだ夜の明けないうちに城を出るのだが、そんな時、『誰かおらぬか』と声をかけると、返事をするのは決まって秀吉だった。
 あるとき、台風で城の堀が百間ほど崩れた。もちろん修理を始めたが、十日以上も経っているのにいっこうに工事が進まない。やきもきする信長を察して秀吉がまかりでた。『もし自分に工事をまかせてくれるなら、三日間で修理を終了致します』『馬鹿を申せ、すでにひと月かかっている工事なんだぞ』と信長は本気にしない。『もしできなければこの首、差しあげます』
 ここで有名な秀吉の割普請(区割り工法)が行われた。期限が三日という約束だったが、それより一日早い二日間で終了してしまった。工法の工夫もさることながら、秀吉の仕事に対する基本姿勢…時間を決め、その時間内に全力を投入するということが大事なことである。
 不況な今の世も、仕事を成功に結びつけるためには、時間を守り、時間を大事にするということが大切なのではないだろうか。
【文:高田 金道】