戦国新報
 
 
平成7年 後期
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「信玄」よ、現実は理屈どおりに運ばない
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 武田信玄と上杉謙信は川中島をはさんで十一年間五回も合戦をしているが、勝敗は決まらなかった。
 二人とも戦い上手なのか?下手なのか?勝負が決まらないということは無駄な戦いをしていることになる。その犠牲になるのは、田畑を荒らされる農民である。
 武田の軍法は甲州流兵法といわれ、他の多くの武将達の手本となっているが、上杉謙信には勝つことができなかったようである。
 もしも武田の軍法が理屈のようにいくと川中島で五回も戦わなくても、一〜二回で勝っていたはずだと思うのだが、引き分けでは軍法も泣くというものだ。 また信玄は「人は城、人は石垣、人は堀」という有名な言葉を残しているが、信玄の生きているうちは統率力があったが、二代目勝頼の代になると人も城も崩れて武田家は滅びてしまうのである。 今の世も信玄の兵法みたいに理屈どおりうまくいくようであればこんな不況風が吹かないのではないかと思うのだが。
【文:高田 金道】