戦国新報
 
 
平成4年 前期
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人の性格をみぬく
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 時は江戸時代。熊本藩七代藩士・細川重賢は名君であり、賢君であった。宝歴五年(一七五五年)一月、藩校「時習館」という学校を作った時のことである。校長に呼ばれた秋山玉山(学者)を前に、重賢はこう言った。「人をつくるのは、木を育てるようにしてほしい。木が一本一本違うように、人間もひとりひとり性格が違う。それぞれの可能性を発見して、育ててやってほしい。」「したがって、教えられる者がどういう性格をしているかを、まず見抜かなければならない。これがすなわち『木くばり』である。」重賢が時習館をつくった時、熊本藩は極度の財政ピンチに陥っていた。当時重役達は学校づくりにもう反対した。その時、重賢は居並ぶ重役達を前に平然とこう言った。「財政ひっぱくの時にこそ、人をつくらねばならない。人が決め手なのだ。」と(童門冬二、「名言にみる処世訓」から)江戸時代の大名で名君、賢君とかいわれた人は数少ない。重賢はその数少ない一人であったし、またりっぱな経営者でもあった。
【文:高田 金道】