戦国新報
 
 
平成4年 前期
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武将は「家」にこだわる
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 今よりも格別に「家」を重んじていた戦国時代。自分の「家」だけでなくその一族も「家」という単位で支配されていました。そのころの武将はどんな家に住んでいたのでしょうか。
住居を転々とするのも戦略のひとつだった信長戦国時代、武将の居城(マイホーム)は固定されていました。そこから出陣してどんなに遠方での戦であっても必ずそこに戻ってきました。そのため、攻め落とした城でも、また再び奪われるといったこともたびたびあってそのため、また出陣するというお粗末さであったようです。そんな従来のパターンを変えたのが信長でした。信長は戦い取った城を次々と自分の居城にして、それらを次の戦略のステップにしたのです。信長が近江に安土城を築いたのは、長篠の戦いがあった翌年、信長四十三歳の頃でした。約四年の歳月を費やし、高さ二十余メートルの石垣の上に、五層七重の安土城天守閣を築きました。過去に例のない高層建築であったといわれます。
【文:高田 金道】