戦国新報
 
 
平成4年 後期
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信長は「武士道」の革命に成功した
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 信長以前の時代における武士道とは、常に欲得がからんでいた。主人が危うくなれば、ほとんどの家来は潮を引くように逃げ去るのが慣行であった。
 戦国武士の行動は、常に私欲に根ざしていたといってもいいだろう。主人が滅びそうになったら、主人を殺してその首をもって敵に降伏する。そうすれば敵から恩賞を与えられ、重く用いられる。
 これが戦国時代の定石であったから、本能寺においての信長の家来の忠義ぶりは、まさに驚くべき行動であった。信長の身辺にいた森蘭丸他、家来はことごとく討ち死に。
 それだけではなく駆け付けて討ち死にした者もいる。京都の市中の宿に泊まっていた湯浅甚介、小松松寿の二人である。自分達の行動が信長の目に止まるわけもないのに、まして恩賞するチャンスなどありもしないし、必死になって本能寺に駆け付けても、信長を救出する手立てもなかったはずである。
 信長は、それまでの戦国「武士道」を根本的に革命して、そして徹底的に再編した「武士道」を作りあげたのである。この信長式「武士道」は、やがて赤穂浪士をへて、勤王の志士の精神に至り、明治維新へとつながっていく。
【文:高田 金道】