戦国新報
 
 
平成4年 後期
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山内一豊の馬…
信長の顔をたてた五百石の家来
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 信長の催した馬揃えの時の話である。信長の家来で知行五百石の山内猪右衛門一豊の馬が、他のどの馬よりもすばらしく、たくましく、一見して名馬とわかった。信長は「あっぱれじゃ、誰の馬か」と家来に尋ねた。「はい、山内猪右衛門の馬でございます。東国一の馬と申しまして商人がひいてまいりましたが、値が高くて誰も買う者がいないのに、猪右衛門が奮発して買った馬のようでございます」そう応えるのを信長は感心して言った。「高いからといって信長の家中に買う者がいなかったら恥をかくところだった。猪右衛門は長く浪人していて貧乏だったろうに、主家に恥をかかせなかったのは、なかなかよいたしなみじゃ」
 この時から山内猪右衛門はとんとん拍子に出世した。馬の代金十両は妻が里から持ってきて、夫の大事に役立てたものだった。後に土佐一国二十万石の領主になった。
【文:高田 金道】