戦国新報
 
 
平成3年 後期
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人のため、世のためにつくさないと“生きのびれない”「思いやり」「評判」「人気」
 川中島の決戦で互いにゆずらなかった武田信玄と上杉謙信。その後の両者の運命は大きく分かれた。武田家は滅亡し、上杉家は生きのびた。戦力的に互角と思われた両陣管になぜ大きく差がついてしまったのか? 上杉は他国との戦争でも、特に農民に評判が良かったと言われています。その原因は、上杉軍は米どころ越後の国、他国での戦争でも必ず食糧部隊をつれていき、兵士は食うに困らないために他国の農民をいたわることが多く、人の心が集まったと言われています。
 これとは反対に、武田の本拠地甲州は米があまりできなかったために、他国で長期にわたって戦うには、その土地の農民から米を略奪するしかなく、そのために人の心は益々離れ、滅亡の道をたどったようです。
【文:高田 金道】