戦国新報
 
 
平成11年 後期
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当たるも八卦、当たらぬも八卦
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 ある時、競馬場に行って予想屋に「予想屋さん、あんたの予想はいつもはずれてばっかり」と文句を言ったら、予想屋さんはニコニコしながら「当たるも八卦、当たらぬも八卦。予想を下から読んでごらん」と言う。なるほど予想を下から読めば「うそよ」になる。だから当たらなくてもしかたがないと言うのである。予想屋には予想屋の知恵があるのだ。
 一般に「つまらない」と思って決めつけてしまう小さな事の中にも、大きな可能性が秘められていて、それを発見するのが「知恵」であるような気がする。
 戦国の世、自分の親族大名の勝利を信じて「予想」していたが、大きく外れて相手の大名に加担した武将がいる。信長が本能寺で光秀に倒された後、秀吉と光秀との山崎の合戦が始まろうとしていた時の話。この戦を制した者が天下人への道を歩くことになるという「天王山」の戦いであった。洞ヶ峠でこの合戦の予想を観望していたのが、世に言う「日和見的態度」の代表的人物として有名な筒井順慶である。順慶は光秀の組下大名で光秀の息子を養子に迎えている親族大名である。光秀に助勢を頼まれ、光秀の「勝利」を「予想」していたが、秀吉軍の恐るべき上洛のスピードに動揺し、心変わりして秀吉についたのであった。
 今の世の中、景気がよくないから一発勝負に賭けて「予想」しながら努力してがんばる事もあるが、なかなか思うようにいかない時の方が多い。一発「予想」も大事だが、やはり「コツコツ」と丹念に努力することの方が大事なような気がする。だが、なかなかむずかしい。
【文:高田 金道】